「待つんだよ、つい手を出したくなっちゃうけれどね。そうするとね、子どもたちってね、ちゃんとできちゃうんだよ」
以前の記事でも書いたのだが僕は週末にボーイスカウト活動で子どもたちと一緒にキャンプをしたり、ボランティアをしたりしている。
冒頭の言葉はキャンプの最中に大大大先輩がおしゃったもの。
活動中は子どもたちに色々なことをチャレンジさせてみる。もちろん初めてのことばかりだから最初からうまくいくことは少ない。
ものすごく遠回りをしたり、失敗もする。そしてその様子を見守りながらじっと待つ。
考えてみれば当たり前なようだけれど、これが本当に難しい。
ついフォローしようと手が出てしまう。別に手助けしてあげようなんてことは思っていない。ふっと身体が反射的に動いてしまうのだ。
なぜだろう?緑の合間からのぞく青空を見上げならがらじっと考える。
色んな言い訳が浮かぶけれどそうした方が自分が楽だからというのは一つあるかもしれない。
でも、それだけではない気がした。
例えば子どもたちがテントを立てようとしている。
ロープの張りがあまいし、ペグを打つ角度も悪い。
次のロープを張っている間に風でも吹けばテントは倒れるな、あっ、風が。
気がつくと倒れそうになったポールを支えようとふっと体が動いていた。
ポールが倒れたところで誰かが怪我をしてしまうような状況ではない。
子どもたちは「あっ!倒れた!」なんて言ってもう一度ロープを張り直すことだろう。
そして、何回かポールを倒したあとで気がつくはずだ、ペグを打つ角度が悪かったんじゃないかと。
この気付きがとても大切。
そして、失敗を重ねて学ぶんだ。何が悪かったか、どうすれば良かったのか。そして、それが積み重なるとこんな環境ではテントを立てたことはないって場所でも、多分こう張れば大丈夫とか、こう工夫すれば立てられそう、と対応できるようになる。
僕も最初はそうだった。テントは潰れるし、タープは風で飛ばされる。それを何回もくりかえした。
僕は子どもたちにチャレンジしてもらいたいし、そして、たとえ失敗してしまったとしてもいいんだよ、っていう環境を作りたいとボーイスカウト活動に取り組んでいる。
それは失敗に含まれないとか、そもそも失敗なんてないなどと言った言葉遊びはこの際どちらでもいい。伝わりやすいように使っているだけなのだから。
でも、僕自身がそんな場を子どもたちから奪っていた。
大大大先輩たちはどこかそれに気がついて、でも、直接注意することなく僕の失敗を見守ってくれていたのだと思う。そして、何気なくと声をかけてくださった。
「待つんだよ、つい手を出したくなっちゃうけれどね。そうするとね、子どもたちってね、ちゃんとできちゃうんだよ」って。